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「わたし」とは「からだ」である。

2020.10.27

「小説幻冬」を定期購読するなかで、紹介されていた一冊の本に目が留まりました。

南木佳士著「根に帰る落葉は」

カードカバーでありながら文庫本サイズだというのも手伝って、さっそく。

 

―第一線の勤務医として病棟の責任者を務めつつ小説を書いていたころ、執筆は深夜に及び、入院患者さんの急変を知らせる病院からの電話で呼び出され、気がついてみたら一睡もせずに朝をむかえていた。そんな生活は四十歳になる直前に破綻し、うつ病の底を這いまわって五十歳まで生きのび、ある日、ふと山を歩いてみたら気分がよくなったのをきっかけに、以後、東信州の標高二千メートルを超える山々に雪の消える六月になると入るようになった。-「岩鏡嶽をよぢ来し掌のほてり」より

 

医者でありながら、作家を続ける「わたし」が紡ぐ言葉には

身体にあらわれる不調には、それに至る理由があると静かに教えてくれていて

「わたし」とは「からだ」そのものではないかとの想いが強くなったと記されていた。

 

まさに共感。自分に置き換えてみても、思い当たるところ多々あり

からだは、わたし=こころが収まる唯一無二の道具であり、

道具は使い方が悪いと壊れもし、手入れを怠ると錆びついていく。

 

―速めに歩いて脳の血流を増やすと、セロトニンなどの脳内神経伝達物質が増え、結果としてうつ病の再発を防ぐことができる。-

とし、5キロの道を歩いて通勤する様子にも、

まさに、「わたし」と「からだ」は一致していることを体現されているようでもあり

健康第一と、改めて感じたのでありました。