「考えの整頓」に見つけたシアワセ。
2014.05.21
暮しの手帖、
もうわたしたちの祖母の代から続く
広告の入らない雑誌。
そこに連載されている
佐藤雅彦著「考えの整とん」が、
単行本になっています。
その中に、見つけた小さなシアワセをここに。
これは、
<「差」という情報>という章に収められているエピソードです。
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アメリカの作家、ポール・オースターの活動に、
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」というものがある。
本にもなっているが、元々はラジオ番組で、
全米の聴衆者から募った体験や物語を、
ポール・オースター自らが選び朗読するという内容であった。
その中に「ファミリー・クリスマス」という小作品がある。
不況下のアメリカで起こった、
とある極めて貧しい一家のクリスマスプレゼントの話(実話)である。
その一家は、クリスマスになっても、
もちろんプレゼントなど誰も買う余力はなく、
クリスマスイブの晩、沈んだ気持ちで寝床に入るのだが、
翌朝、起きてみるとツリーの下にプレゼントの山を発見する。
そのプレゼントの箱をひとつずつ開けた家族はみんな驚く。
なんと中から出てきたのは、
何か月前かに失くしたショール(=お母さんへのプレゼント)だったり、
先月どこかに忘れたと想ってあきらめていた帽子(=長男へのプレゼント)だったり、
やはり失くなってしまっていたスリッパ(=妹へのプレゼント)だったりして、
家族中がプレゼントを貰うことになって、
途中からは笑いで一杯になり、
次の包みの紐もほどけないほど笑い転げたという。
実は、その一家の末弟が、
数か月にもわたり、
失くなっても騒がれないものをこつこつ隠していたわけなのだが、
私は、こんなプレゼントもあるのだととても嬉しくなった。
プレゼントは今までの生活にプラスされるものである。
マフラーも手袋もプレゼントされれば、その分、
自分の生活に豊かさをもたらす。
このプラスされた「差」こそがプレゼントなのである。
では、一度、失くして諦めてもらえば、
それが出てきた時感じる「差」は、
やはりプレゼントと言えるだろう。
しかも、無駄なお金もかからない上、絶対使ってもらえて、
なによりも、その「差」には、
どんなプレゼントもかなわない家族への思いが
含まれていたのである。
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想い思って、思い遣る。
その気持ちがシアワセを降らせたんですね。
今日の雨にも、混じっていますように。