旅と言えば伊勢参りだったころ。
2016.08.11
江戸時代、この国では伊勢参りへでかけることが
奉公先からも認められる唯一の旅であったそう
戦国時代を抜け、すこしずつ国が安定してきた時代だからこそ
ひとびとも楽しみを探す心の余裕が生まれたのでしょうか
自分の身体ひとつで、足を使ってどこまでも
ただただひたすらに街道を歩く旅。
いまは、便利な乗り物がいくつもあって
その様子も変化していますが
旅を楽しんでいらっしゃる方も多い時期でございます。
どうか、旅先でも健康を損なうことなく穏やかで豊かな時間をお過ごしください。
ここに、柳田国男著「日本の昔話」より一篇
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松子の伊勢参り
むかし伊勢の大神宮さまへ、出羽の北秋田の独鈷という村の者だと言って、若い男と女とが二人連れでお参りをして来ました。女の名は松子と謂って、田舎の人にしては珍しく上品な美しい女でありました。この二人が旅費が足りなくなって、大へんに困っているのを、宿屋の主人が見て気の毒に思いまして、そんなら来年誰かお前様方の村の衆が参宮なさるときに、ことづけて返して下さいと言って、入用なだけのお金を貸して遣りました。ところが、その次の年に、独鈷の村の人が大勢で来ましたから、あの金は持って来てくれたかと尋ねましたけれども、私たちの村には松子などというそんな美しい人はおらぬ。これはどうしたわけであろうかと、客も亭主も驚いてしまいました。それからこの伊勢参宮の人が村に還って来て、村の人たちにこの話をしますと、なるほど、それでやっと合点が行った。村の諏訪神社の森の高い松の木の上に、三年の前からああして白く見えているのは、どうも伊勢の御祓いのようだと思っていた。それでは一つ下して見ようといって、松の樹に登ってその白いものを取って見ると、果たしてそれは神宮の御札でありました。そんなら確かにこの二本の松が、人の形になって伊勢参りをしたのであった。早速その借金を返すがよいと、村で金を集めて、直ぐに伊勢の宿屋さんへ送り届けることにしたそうであります。そうしてその二本の松の樹の一方が女で、名まえが松子さんであったことも、この時からわかったのであります。
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やれやれいったいどこまでお人好しなのでしょう
でも、このひとたちのこと、とてもいいなと思えるのです。
写真はこちらより