記憶の宿るところ。
2016.08.25
週末から公開される映画「君の名は。」の原作小説を読みました。
そのタイトルから、1953年公開の岸恵子さん主役の名作リバイバルか
と、はじめはそう思っていました。
この「君の名は。」は、新海誠監督が書き下ろしたまったくの新作で
神木隆之介さんらが声を吹き込むアニメーション映画。
原作小説が早々と出版されていて、珍しく公開前に読んでみたのです。
解説は、今作のプロデューサー、川村元気さんが書かれていました。
・・・・・
-2012年、僕は『世界から猫が消えたなら』という小説を書いた。
そこで死にゆく郵便配達員の姿を描いた。
死を書いているはずなのに、いつの間にか記憶の物語になっていった。
人にとって最も残酷なことはなにか?当然それは死だ。ずっとそう思っていた。
でも、死よりも残酷なことがある。
それは、生きながら愛する人を忘れていくことだ。
人の記憶は、どこに宿るのだろう。
脳のシナプスの配線パターンそのものか。眼球や指先にも記憶はあるのか。
あるいは、霧のように不定型で不可視な精神の塊がどこかにあって、それが記憶を宿すのか。
心とか、精神とか、魂とか呼ばれるようなもの。
OSの入ったメモリーカードみたいに、それは抜き差し出来るのか。
(中略)
でもこの小説を読んで、少しだけわかった気がする。
ひとは大切なことを忘れていく。
けれども、そこを抗おうともがくことで生を獲得するのだ。
・・・・・
忘れることと言ったら、わたしも自信があります。
さっきまでやろうと思っていたことを、
振り向いたらもう忘れているなんてこともしょっちゅう
記憶には、本人にしかわからない優先順位みたいなものがあって
誰も代わりを務めることはできないのでしょう。
忘れたくないほどの感動に出会える
かけがえのない日々に感謝をこめて