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「青梅雨」

2021.03.17

本を読んで、読んできたその時間をよかったと思える本はそう多くない。

読んできた時間を返してくれと嘆きたくなるものも、これまで多く出会ってきた

 

永井龍男(1904-1990)をはじめて手に取りました。「青梅雨」

読んでいる時間さえ慈しむような気持ちになる文に、読み終わっても、もう一度同じところを読みたくもなり。

日本語のうつくしさ、過去に観てきたうつくしい日本の景色を浮かべて味わっています。

 

―事業に失敗した一家が、服毒心中を決意するが、冷たい雨のそぼ降る決行の宵、それぞれの心に悲壮な覚悟をひそめながらも、やさしくかばい合う、その心情を描いた「青梅雨」。肉親の絆のはかなさ、もろさというものを巧みに暗示した「冬の日」。他に「枯芝」「一個」など繊細な感覚で鋭利に切り取られた人生の断面を彫琢を極めた文章で鮮やかにとらえた永井文学の精髄を収める。

 

―「なにか、仕忘れていることはないかと、明るいうちは、一日中そわそわした気分だったが、帰りの電車に乗ると、すっかり落着いてね。今夜ほど人の顔や、外の景色を、落着いて眺めたことはないよ」なかば自分に言い聞かせているような、言葉遣いであった。「仕忘れたこともあるだろう。あるだろうが、かんべんしてもうらおうよ」(続く)